(手記はここで途切れている)

わたしの ぼうけんは これで おわってしまった

責任、称賛獲得、独自性と4分類

以前書いた↓の記事の続き

 

imashin0402.hatenablog.com

 

 

前回のあらすじ

 パイディアの発展する方向性として、「ルドゥス」「玩」以外の可能性として「責任感」「称賛獲得」「独自性」の3つを提案してみた。*1

 「責任感」は不可逆的な結果を受け入れようとする態度、「称賛獲得」は見世物的により人に言いたくなるプレイを追及する態度、「独自性」は他人と違った自分らしさを表現しようとする態度であった。

 

本題

 ではこの3つの方向性と4分類の組み合わせについて、探っていく。

 

パイディア⇔責任感と4分類

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 競争(アゴン)

 競争の結果、多くの場合勝者と敗者が生まれる。敗者は敗者として負けた事実を受け入れる必要はあるし、勝者は勝者として敗者に対し真摯な態度を取らなければならない。負けを認めようとしない敗者や*2、盛大に勝ち誇る勝者は大人げないだろう。ということで前者が責任感、後者がパイディアの態度であろう。決して覆ることのない、勝敗の結果に対する責任感なのである。

 

 例:パイディア……屈伸煽り、リアルファイト(一歩手前)、負けを認めない

   責任感……互いに褒め称える、『OverWatch』の試合後投票

 

 偶然(アレア)

 こちらもアゴンと同様、運による失敗を受け入れようとしない姿勢はパイディアだろう*3。また、自暴自棄になって何の願いも無く賭けることも、アレアにおける(責任感の軸での)パイディアだろう。一方で結果を受け入れて次の勝負に乗り出す(もしくは勝負から降りる)のが責任感のある場合である。この方向性の軸はアレアと結び付けやすいことが分かる。

 アレアにおける賭けの対象が極端に大きくなるのがロシアンルーレットだが、前回述べたように「死」という不可逆的な結果を受け入れる*4ため、責任感がはっきりと現れる例と言えるだろう。

 

 例:パイディア……不運な結果を見なかったことにする、自暴自棄になって適当に賭ける

   責任感……ロシアンルーレット、倍プッシュ(ダブルプッシュ)

 

 ※またもう一つの捉え方として、偶然による結果を神(もしくはそれに類するもの)のおかげなのか、プレイヤー自身のせいであるのかをパイディア⇔責任感とする立場もあるかもしれない。ただしこれはどちらかと言えばアレア⇔アゴンの違いに近く、自分としてはこちらは微妙だと思う。一応書いておくが。

 

 模擬(ミミクリ)

 ミミクリを利用することで、一方ではプレイヤー自身の起こした行動の結果から逃れるパイディア的な発想になり、もう一方では虚構世界でプレイヤーキャラクターが起こした結果を(プレイヤーが多少介入する余地があったとしても)プレイヤー自身のせいだと受け入れる責任感が発生する。

 前者はプレイヤーからプレイヤーキャラクターへ、後者はプレイヤーキャラクターからプレイヤーへと責任が移っており、移動する方向が逆なのが興味深い。

 

 例:パイディア……NPCを殺害する選択を選ばざるを得ない時にプレイヤーキャラクターの性格や役職を理由にする

   責任感……『ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁』での嫁選び*5、『戦場のフーガ』のソウルキャノン、『クロノ・トリガー』の緑の夢*6

 

 眩暈(イリンクス)

 他の分類に比べると、イリンクスとは結びつきにくいかもしれない。他は結果が確定してからその責任を誰が負うのかが問題となるわけであるが、イリンクスの場合その遊びに参加するかどうか*7に責任があり、遊び内での行動にあまり意味がないことも多い*8

 

 

パイディア⇔承認獲得と4分類

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 競争(アゴン)

 先ほどの責任感の軸を踏まえると、敗者に勝ち誇り承認欲求を満たすのは(責任感に対しては)パイディアなのか、それとも承認獲得なのか明らかでないように感じるかもしれない。

 しかし、勝敗への責任感を持ちつつ、承認獲得を目指すことは可能だろう。つまり、敗者を過度に煽ることはせず強さを認めつつも、その相手に勝利したことの誉れ自体はアピールできる。また逆に、悪態を吐きつつもあくまで対戦者同士で治めることもありうる。アゴンだとしても、責任感と承認欲求の軸はそれぞれ別なのである*9

 

 例:パイディア……勝敗を取り立てて騒がない

   承認獲得……戦績をSNS等で自慢する、スーパープレイ集

 

 偶然(アレア)

 (達成した人がほとんど居ないような)難しい課題を達成しようとするならアゴン的になるが、偶然得られた珍しい事態を共有する……例えば『モンスターハンター』で初めて倒したモンスターからレアアイテム「逆鱗」を同時に2つ入手できたことを報告する場合や、頓珍漢なバグをSNS上にアップする場合は、アレアだろう。

 このように、珍しいことであればあるほど人に伝えたくなりやすいだろうが、承認獲得を求めてより珍しい事柄を起こそうとする動きもありうる。一方で、単に自分の楽しみのために珍しい事態を起こそうとする態度も当然ありうるだろう。前者が承認獲得、後者がパイディアである。

 

 例:パイディア……自分自身のために珍しさを求める、「ラッキー」と思う

   承認獲得……幸運や不運の結果を人に伝えたくて仕方ない、珍しいことが実現しうるのかを検証して発表する

 

 模擬(ミミクリ)

 誰に見せるでもない鼻歌や声真似、講演するかのような独り言による楽しみは、パイディア側だろう。好きな歌を聴きながら、その歌手になったような気で口パクだけをするなんて経験は、誰しもあるのではないだろうか*10。もちろんRPGでキャラクターになりきるのも、他人に共有するのではないパイディアだ。

 一方で人に見せるための模擬はより一般的だろう。演劇、寸劇、ジェスチャーゲーム、ものまね紅白歌合戦……これらは承認獲得側である。

 

 例:パイディア……鼻歌、独り言、口パク

   承認獲得……演劇、コント、ジェスチャーゲーム、ものまね紅白歌合戦

 

 眩暈(イリンクス)

 イリンクスは基本的に当人のみが楽しむものだから、その多くがパイディアだ。しかし時々、イリンクスの様子を周囲に見せたりその様子を見て楽しむ場合もある。見世物としての側面が大きいが、見世物となっている当人も楽しんでいることもあるだろう。

 ミミクリやイリンクスは自他の境界が曖昧になり、自己意識が希薄になるものであるため、他者に楽しみの一部を委ねる傾向にあるのかもしれない。そのように考えると、これらは承認獲得と結び付きやすいと言えるだろう。

 

 例:パイディア……ジェットコースターのシングルライダー、滝行、VRゲーム

   承認獲得……罰ゲームとしてのバンジージャンプ、ぐるぐるバット、泥酔状態でのゲーム実況

 

パイディア⇔独自性と4分類

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 競争(アゴン)

 格闘ゲームでは起こりがちだが、「勝利自体を目指すのであれば強いキャラクターを使えば良い、でも敢えて弱いこのキャラクターを使いたい(そしてできれば勝ちたい)」といった態度がある。キャラ愛とも呼ばれる一方で、いわゆる「逆張り」のような「周りの人々が多く使うキャラクターを安易に使いたくない」といった心理も影響することが多いのではないだろうか*11

 独自性を求める態度ではこのような、勝利を求めつつも他人と異なる在り方も目指す。一方でそうでないパイディア的な態度では、大勢に使われていようが*12勝利に近付けるキャラクターや戦法を使うことになる。

 

 例:パイディア……他人のプレイングを気にせずに純粋に勝利を目指す

   独自性……周りが行っていないようなプレイングを優先して習得・実践しようとする、人気の無いキャラを進んで使う(格闘ゲームなど)

 

 偶然(アレア)

 偶然得られた結果を他者と比較するかどうかで、パイディアか独自性かが分かれる。パイディアであれば数値的な確率、例えば0.01%を引き当てたことを根拠に喜ぶ。一方で独自性であれば、例えば世界で3回しか起きていないことが起きたことを根拠に喜ぶ。基準を他者に求めるのかどうかが重要といえる*13

 

 例:パイディア……単に確率的な(主観を大いに含む)珍しさに一喜一憂する

   独自性……自分だけが置かれる珍しい状況に喜びを感じる

 

 模擬(ミミクリ)

 カスタマイズ要素は(機能的な面を除くと)ほとんどミミクリの遊びだが、オリジナリティーを反映させたいか、世界観やプレイヤーキャラクターの性格に馴染むようにしたいかで、楽しみ方が大きく分かれるだろう*14

 また前回述べていたが、プレイングにおいても特定の人物やキャラクターを想定し、真似るようなミミクリはありうる。単に真似るのであれば独自性は少ない*15が、そこから更に手を入れて独自性を加えていくことも可能だと思われる。

 

 例:パイディア……自分らしさよりむしろ(ゲーム内でプレイヤーキャラクターの置かれた)環境や状況に応じた操作をする

   独自性……プレイヤーのオリジナリティーを反映させた衣装・インテリアを好む、(実在かフィクションかを問わず)ある対象と比較してより良いプレイングを目指す

 

 

 眩暈(イリンクス)

 自己表現ともいえる独自性と、自己が曖昧になるイリンクスは相性が悪そうだ。「酒を呑むことで初めてその人の本性が浮き出てくる」……といった言説もあるかもしれないが、イリンクスを与えてその人の内面を覗こうとするのが独自性の表現かというというと微妙だろう。

 

 

終わりに

 とりあえずこんな感じでまとめてみた。新たに提案した3つの軸よりも、むしろ4分類の理解が深まったような気がする。

 例を書こうとしたが、あまり適切な例を出せていないので、こういう例が良いのではないかなどの意見があればぜひ。

 

 

 

*1:サラッと説明上の問題で「責任」を「責任感」に言い換えている。態度の軸の話なのでこちらの方が適切かもしれない。

*2:ただしあくまで「認めたくない」という気持ちの問題であり、本当に認めなければルールが崩壊するので遊びでなくなる

*3:カイヨワによると、そもそもパイディアとアレアは結び付きにくいらしいが……偶然の結果を受け入れないのは偶然の遊びとして成立していないということかもしれない。

*4:というか受け入れざるを得ない

*5:ビアンカやフローラはプレイヤーの嫁になるわけではない

*6:これらの例はプレイヤーがフィクションにインタラクトするせいで後の展開が変化するものであるため、そもそもプレイヤーに責任があるので分かりづらい。プレイヤーが操作しなくともプレイヤーの責任に感じる場合はあるはずだが、ピッタリの例が浮かばなかった。

*7:また参加し続けるかどうか

*8:イリンクスによって自己意識の感覚すら薄れていくので

*9:すると、責任感の軸ではパイディアだが承認欲求の軸ではパイディアでない、といった事態が起きうる。非常に混乱を招くが、(玩の軸の意味での)パイディアかつルドゥス、玩かつ(ルドゥスの軸の意味での)パイディアなどが成り立つのであれば問題ないと言えるだろう。

*10:個人的にはこれが最もミミクリの根源を掴みやすい例なのではないかと思っているが、人に伝わるかは分からない。

*11:実際に筆者にはその傾向がある

*12:使われていなかろうが

*13:もちろんかなりグラデーションはある。「0.01%の確率ということは他には誰も達成していないのでは」といった推測はよく起きているだろう。

*14:当然それ以外の遊び方も無限にあるだろうが……

*15:特定の対象を真似ようとすること自体にある程度独自性はあると思う